1〜100
とりあえず1〜100問達成。
正直めちゃくちゃしんどかった。
1〜100問は「昔はどんな大人になりたかったか?」「これからどうなっていきたいか?」というような質問がメイン。いわゆる夢に関する質問だ。
しかし、今までの人生を振り返ってみると私は夢らしい夢を持ったことがないということに気づいた。それゆえにこの100問は何も思いつかない項目が大半を占め、とにかく苦しかった。
思えば幼稚園の頃から周りが「お嫁さんになりたい!」「ケーキ屋さんになりたい!」「研究者になりたい!」と言っている中、私はどれもしっくり来ないと感じていた。とはいえ夢が無いなんて言えるような雰囲気でもなく、とりあえず当時の習い事に関連するように「バレリーナになりたい」「ピアニストになりたい」と言っていた記憶がある。
小学校4年の際に「1/2成人式」というイベントが行われ、20歳になった自分を想像してみるという機会があった。この時も今自己分析をしている時と同じような苦しみを味わった記憶がある。
いかんせん将来の自分の姿が全く見えてこないのだ。情景を思い浮かべようとしてもどこか違う人のように感じてしまう。「やりたいこと」も無いので、何か好きなことをしてキラキラしているというような情景も当然浮かばない。周りがスラスラ作文用紙に将来の姿を書き出す中、焦りに駆られてとりあえず「猫を飼って適当に過ごしていると思います。」と書いた記憶がある。ちなみに20歳の時は猫を飼っていなかったぞ。
中学生になると本格的に夢を持つ人が増えてくる。イラストが好きな子は絵を極めるために毎日絵を描き、先生志望の子は一生懸命勉強を頑張ってそれなりの高校へ進む準備をした。ここでも夢のない現状に焦りを感じ、とりあえず母から勧められた「薬剤師」を当面の夢として掲げることにした。しかしこれも周りに言うための夢であって、当然心の底からの夢ではない。将来の自分がどうなるのかわからないまま部活に打ち込み、可もなく不可もなくな成績で偏差値50くらいの高校に進んだ。
高校では当時ハマっていたV系の影響からか、はたまた年頃の女子にありがちな美醜意識からか、完全にメンヘラ落ちする。学校はそれなりに楽しかったが、その一方でなんの取り柄もない自分が嫌になってリストカットを繰り返していた。今思うとリスカする自分に酔っていた部分もあると思う。ちなみに深く傷を付けるとするといつまで経っても傷跡が治らないので非常に後悔している。
私の高校は専門学校や看護学校、保育系の学校に進む人が多かった。そんな周囲に合わせて看護や保育などの道も考えたが、なんとなく自分には合わないという感覚はあった。
将来の道もわからないまま、親の協力もあってとりあえず大学受験をすることが決定した。結果的に大学進学自体がよかったのかどうかはわからないが、この受験という経験は自分にとっての大きな出来事であった。
1〜2年の頃の成績は、偏差値50の高校の中でも下から数えた方が早いくらい。(小学校はそれなりに勉強ができる部類だったのにな…)と思いながら、勉強できないコースの友達とわちゃわちゃやっている日々を送っていた。
しかし高校3年生になってとりあえず勉強に打ち込んでみると、自分でも驚くほど成績が上がった。何より、勉強を苦だと思わなかった。
そうしている間に気がついたら成績は学年トップ。そのままあれよあれよという間に自分でも信じられないくらいの大学に合格。自分の高校からその大学に行く人はほとんどいなかったらしく、みんなに報告すると腰抜かして驚いた。学校中の先生が「おめでとう」と言って握手してくれた。なんの取り柄もない自分に少し自信がついた瞬間だった。
「こんな大学に行ける自分はやはり優れた人間に違いない」
そんな自信を持って胸を張って大学に入学した。しかしそんな自信はすぐに打ち消された。
周りを見るととにかく優秀な人たちばかり。それもただ優秀なのではなく、私がずっと追い求めていた「夢」を持っているからキラキラしている。彼らがとにかく羨ましかった。なんとしてでも追いつきたかった。その場で生まれた嫉妬心をなんとかするという浅い目標のために、ひとまず目の前にあったサークル活動に打ち込んだ。
そして今、就活。
夢を持って将来のビジョンを描ける彼らはとっくに行きたい企業への内定を勝ち取ったようだ。
私はまだスタートラインにすら立っていない。いわゆる「ガクチカ」は話せても、「将来どんなことがやりたいの?」と言われると口ごもってしまう。就活本に載ってる自己分析をなんとなくやって「日本のプレゼンスを上げたい」などと言ってみたこともあったが、正直それは口先だけの夢である。もちろんそういう気持ちもないわけではないが、心の底からしっくり来ているものではない。
よくある「就活の軸」も時間をかけていくつか考えてみたものの、大体どの企業にも当てはまるようなものでしかなかった。
"でも就活なんて口先だけでも話せればなんとかなるでしょ"
そんな思いがあったのも事実だ。実際口がうまい人はあることないこと話して内定をもらっているのかもしれない。
しかし嘘がつけない私はだめだった。
一次面接や二次面接が通ったとしても、いつも大体最終で落ちる。内定一歩手前のところで落ちる。大雨の日、ただでさえお祈りメールがたくさん来る中、「あなたにぜひ来てもらいたい」と言われた会社からのお祈りメールがやってきた瞬間は本気で死のうと思った。
いろんな情報を集めて分かったのだが、最後に必要なのは熱意だそうだ。私にはこれが圧倒的に足りていない。「なんとなく普通の生活送れればいいな、できれば福利厚生ちゃんとしてればいいな」そんな気持ちが見透かされているのだろう。
ここまで書いてきたように、私はとにかく夢のない人間だった。希望年収や住みたいところにもそこまでこだわりがないことがわかった。タワマンに住みたいなんて野望も無いし、港区女子になってキラキラした生活を送って素敵な旦那様をゲットしたいというわけでもない。そもそも結婚願望もそこまで強いわけではないのでバリバリ仕事をする人間になるかどうかも決めあぐねている。
こんなふわふわ人間だから、正直1〜100問はあまり身になった感覚はなかった。考えても考えても「これだ!」と思える回答が出てこなかった。他の問題をやった後、もう一度じっくり考えなければならない。
それなりに生きていければ個人的には十分なのだが、就活をしていると「それなりの生活」を送るにはこうした将来のビジョンが無いといけないらしい。もっと就活は楽にいくものだと舐めていたんだけどなあ。どうしようね、このパラドックス。
最後に、1〜100の中でも特に私が苦戦した問いを書いておきます。みなさんだったらどう答えますか?
第63番
・40代になったら世の中にどんな影響を与えている?
→そもそも40代の自分がイメージできない。しかも世の中に影響を与える…??とりあえず「目の前の人を通じて社会に影響を与える」とは書いたものの、あまり腹落ちはしていない。40代の自分って何してるんだろう
第71番
・50代になった時の地位は?
→取締役とかになったらかっこいいよなーと思いつつも、別にパート暮らしとかでもいいかなという気持ちもあったり。結婚するかどうか、何歳で子供を産むか、それによっても大きく変わってくる問題だと思いうまく書けなかった。(結婚か仕事かって考えている時点で古い価値観に縛られているのかもしれないけど)
だけど、もし子供がいるならそれこそパート暮らしで生活を大事にするのもいいし、結婚を諦めるなら仕事に打ち込んで上を目指してみたい気もするし。要するにその時々の状況に合わせて変えられるくらいこだわりもなんにもない。もっと「何がなんでもトップまで上り詰める!これだけは譲れない!」みたいな野望があれば人生決めやすいんだけどなあ。
第92番
・死の瞬間をどう迎えたいか?
→「今までの人生に感謝して笑顔で死にたい」とか書いてみたが、よく考えたら本気で自殺を考えていた人間がそんなこと思うはずない。結果的に「特にこだわりはない」と書いた。
introduction
1、なぜ自己分析をするのか、その目的は?
◎就活に苦戦している中で、「やりたいこと」や「将来のビジョン」が欠けていることを痛感したから。自己分析を重ねて納得して就活を終わらせたいから。
◉自分の進むべきコンパスが欲しい
☆自己分析を進めて、出てきた転用アクションまで含めて実行していく。
2、現在の自分の「人生の軸」は?
◎常に明るく笑顔でテンション高く生きること
◉周りの人を照らすような存在になりたい
☆他に自分と同じような軸を持っている人はどのように生きている?
◎他人に思いやりを持って接し、優しくする
→自分自身思いやりを感じることで他の人にも優しくしようと思えた。優しさの連鎖に可能性を感じているため
◉世界を優しさで満たしたい
☆pay forwardの考え方で、接する人に優しくする(?)
◎勉強できる喜びを実感し、知識をつけて周りの人に追いつく
◉成長を止めてはならない
☆成長の原動力となるものをいくつか持っておく。
3、自分と向き合うことで何を得たいのか?
◎モチベーションとなるコンパス、納得内定、受験期にあったのめり込むような熱量
◉ふわふわと生きる生き方に決別し、自分の軸を得たい
☆自己分析自己分析自己分析
このブログでは「メモの魔力」の付録についている自己分析1000問を通して、少しでも自分を知っていこうと思って書いていく予定です。
これまで何度も自己分析をやってみたものの、なかなかうまくいかない。そもそも自分に向き合うのが怖くてやる気になれない。でもそろそろしっかり向き合わなきゃ。そんな思いから少しずつ進めていく予定です。
最初の3問だけでもめちゃくちゃしんどいな。やり方もあっているのかわからないし難しい。